PLANE!PLANE!PLANE
タックン2001年8月23日UP


  飛行機。それは、長い間拘束される添乗員がつかの間の安らぎが得られる時間である。しかし亜音速で飛ぶこの乗り物は亜音速でトラブルを運んでくる
飛行機にまつわる話を少々。「翼よ、あれはどこの灯だ」其の一

 
添乗員は、お客様が席に座ると飴玉を配ったり、何か要望を聞きに回ったりした後、機内で何にもすることがない。アテンドがやってくれるのだ。私は、よくタキシングの最中に寝てしまい、機内食で起こされる。離陸を知らないのだ。
 
今回の中国内蒙古へのツアーは、2週間、日程は案外詰まっている。夜、北京のホテルで大阪のお客様と合流の予定である。成田を離陸、北京までは6時間の予定である。無事スタートと思われていた。いつもどうり私は熟睡していた。ドスンと着陸の音と共に目が覚めた。今日はやけに早く感じられたな、機内食は?お客様は?と思いながら、窓に流れる滑走路を見ているとターミナルビルが見えてきた。『東京新国際空港』 「トンキン空港?」 はて北京の近くにトンキンなる町があったか?混乱した頭に見慣れた景色とビル、成田である。戻った?出発時刻から40分程たっている、まだ滑走中にもかかわらず、アテンドの静止を振り切り、2階のコクピッとダッシュした。なぜかドアはこのとき開いていた。中国人の機長に「なぜ戻ったの?」の質問をぶつけてみた。機長は管制塔との交信をしていたため、副機長が「扉が閉まっていなかった」と計器類の赤ランプを指差して青い顔をしていた。血の気が引いた。20分あれば747ジャンボならゆうに5000メートル以上上昇できる、落ちなくてよかった。

  実際は、操縦室の着陸脚扉開閉の警告ランプのみの故障だったのだが、機長は吊り下げ検査を要求し、其の日のフライトはキャンセルされ、5時間ほど機内に閉じ込められ後開放され、北京泊が成田泊に変わり、遅くまで北京のホテルにいる大阪のお客様にとの連絡に追われた。
翌朝、成田山に旅の無事を祈った。